山王病院神経外科・Dr.高橋浩一

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メンタル強化法

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高橋浩一のブログ

昭和の日

本日は昭和の日です。

「昭和」と聞き、何を一番に連想するかというと、私の場合は「大東亜戦争」です。

悲惨な戦争は、もう二度と繰り返してはいけないと強く、強く思います。今の日本は、戦後から戦争することがなく、平和です。私達日本人が、今後も平和を維持するよう、努力せねばならないと思います。

 

明治時代の日本人は、列強から国を守るため、多くの日本人が「国のために」と頑張られました。 しかし明治時代の日本人は生活に関しても、教育に関しても、医療に関しても現在と比較にならない程、国からの保障は微々たるものだったようです。

現在は、国民皆保険制度や義務教育、生活保護制度など、国から受ける保障は、以前と比較しても、他国と比較しても恵まれていると思います。

 しかし今、どのくらいの日本人が、「国のために」頑張れると考える人がいるでしょうか?

あるアンケートでは、自国民である事に「誇りを感じる」と回答した方は57.6%、「誇りを感じない」と回答した方は36.6%でした。

他の国と比較し、圧倒的に「愛国心」をもつ国民が少ないです。

私は、アメリカに留学経験がありますが、未だに人種差別があります。しかし、アジア系でも日本人は、特別なある種、尊敬の目で見られる傾向がありました。

日本人=金持ち という感覚を持たれているアメリカ人が存在するのは事実ですが、TOYOTA, Sony, Mitsubishi, Nissan, Toshibaなど、世界のトップに君臨する企業が多く、その優秀性を評価してくれる方も少なくありませんでした。

それから、18, 19世紀に植民地支配されず、日本を守ってこられた先人の方々の必死な国防によって、今の日本があると感謝しています。

少なくとも、私は日本人である事に誇りを持ちたいと思います。 

「愛国心」というと、右翼、そして戦争への流れを連想される方もいます。しかし、私は前述の通り、戦争は絶対反対です。「自虐的歴史観」でなく、日本に誇りをもつ視点で、母国の事を考える事は、平和を維持する上に大切かもしれません。

 注:私は医師であり、歴史研究家、評論家などではないため、軽い独り言と流して下さい。

高橋浩一 (2009年4月29日 11:15) コメント(4)

コメント(4)

高橋浩一 先生

「昭和」。
「昭らかに、和やかに…」そんな願いとは裏腹に、前半は、戦争に明け暮れた時代でしたね。

「昭和」の由来はご存じだと思いますが、四書五経の中の経書「百姓昭明、協和萬邦」、読みは、「百姓(ひゃくせい)昭明にして萬邦(ばんこく)協和す。」です。江戸中期の「明和」も同じ出典です。

家族みんなが和気あいあいとして,仲よく力を合わして暮らすと,すべての家々(百姓)が平和で明るく栄えていく。その和気は,隣近所,字より郷,町,郡,県と人々をことごとく和合し,果ては国中の民が和を愛し,天下はよく治まる。更にその和気は広く万国に及ぼし,国々の和合協力することまちがいなし。」 との意味です。

私は授業で、「戦争をする国になりたい人はいるか?」と、生徒にたずねます。そうすると、わざとウケねらいをするいたずら坊主以外は、挙手しません。笑
そこで、こう言うのです。「それなら、今、隣に座っている人とは、平和にできているか?」「隣の人とも平和にできないで、世界平和を語る資格はないよ。」と。

「まずは隣人から。」「まずは、家族から。」
一つ前のスレッドと通ずるものもありますね。
「平成」だって、「内、平らかにして、外、成る。」ですから、文意は同様なのです。

家族、友人、国家…もちろん、「隣」であるが故の難しさがあるのは承知です。しかし、それを乗り越えるところが人類の英知です。

これが、私の「昭和」に対する想いです。

蛇足ですが、太平洋戦争時の「財政的脆弱さ」「情報収集力の弱さ」「外界に対する閉鎖性」…これら敗戦の要因は、ひとり医療の世界だけの問題でなく、依然として、昭和以前から続く「陋習」というか、日本固有の弱点ですね。

そういう国情を克服できる公民を育てること。これが、私の「夢」です。


あきちゃんで~す様

コメントありがとうございます。

昭和に対する解説、それから想い、重く伝わりました。感謝です。

>「財政的脆弱さ」「情報収集力の弱さ」「外界に対する閉鎖性」…これら敗戦の要因は、ひとり医療の世界だけの問題でなく、依然として、昭和以前から続く「陋習」というか、日本固有の弱点ですね。

御指摘の通りかと思います。真面目な民族性が、良きに悪しきに影響しているかもしれません。

それから日本人は、自虐的、自信がないという傾向にあるのも問題かと思いますが、いかがでしょうか?

高橋浩一 先生

早速のご返事ありがとうございます。

「日本人の自信のなさ」これは、学校教育にも責任があるか、と反省しています。「反省」とは、謝っていることとは違いますが。

最近は、公立の中学校にも、体験入学で外国からの生徒さんが来るようになりました。ある子が、「私の趣味は、ピアノです。」と自己紹介したので弾かせてみると、片手がやっと…だったりします。それでも、その子は、まわりの反応などお構いなしに、楽しそうに弾き続けます。
日本の子なら、「私は、ピアノが弾ける。」とは、その程度では、普通は他人には言いません。「…ができる。」と自分から言うことは、何かをほぼ完璧にマスターしていることを指すからです。かなりできることでも、「…を少し。」といいますよね。
「反省」は、悪かったことの振り返りの意味に使います。しかし、本当の意味での「反省」は、あることの善・悪両面を総合的に評価することです。

そのようなことと、「自信のなさ」が関係しているのかもしれません。

その反対に、「NO」もはっきり言いませんよね。
これも、学校教育の責任かもしれません。「NO」という選択は、ほとんど許されませんから。

「自信」と「自分を好きになること」は表裏一体の関係にあるのだと思います。そして、それを具現化しようとする思いが「夢」なのではないでしょうか。

あきちゃんで~す様

コメントありがとうございます。

私が小学生時代に、担任の先生からよく、「もっと自信を持て!」と言われたのを思い出しました。

まさに、多少自信があっても、「私にはできない」もしくは「苦手だ」と言ったり、Noも言いにくかったと思います。

今も自分自身では、上記の事を引きずっている感じです。

しかし、強く変わっていかなくてはいけないと思います。子ども達のためにも、自信を持って、国、家族、母校などに誇りを持っていこうと思います。

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